2008年05月14日

目に映るものがバイブル

1990年に朗文堂より出版された「evolution International message 1」が未だにデザインバイブルになっていると思える時がある。何も「困った時のパクりネタ」という意味のバイブルではなく、スイス的デザイン感覚ぱぱっと視覚的に再確認できる本として、デスクの脇にいつも置いてあるだけなのだが。

コーヒーを飲みながら、タバコを吸いながら、何でも良い。自分の目が行き届く範囲に「目につくデザイン物」を置き、何かの表紙にそれに目が行っているだけで、デザイン感覚は磨かれて行くものだと思う。もしもグラフィックやウェブデザインで「自分の世界を作りたい」のであれば、現実の自分の周りにも「自分の世界」を作ってみたらどうか?

僕は25歳〜28歳までの3年間を銀座のデザインプロダクションで過ごしたが、そのオフィスもやはり「目に見える世界」、例えば社長室、本棚、ミーティングルーム、先輩のデスク…それぞれがデザイナーの感覚に満ちていた。
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2008年05月13日

スランプ脱出の兆し

長い間、デザイン制作に対しスランプだった。どうにも、制作意欲がわかないのだ。これほど長期にわたりスランプが続くことは、かつて無かった気がする。まだ、本格的にスランプから抜け出したかどうかわからないが。

スランプの要因は一つではない。今回の場合、5〜10の原因が思い当たる。体力の低下、視力の悪化、人間関係の難しさ、多忙、先行きの不安など…フィジカル&メンタルの両面で、かなり消耗していた。

精神が不安定になると、良いデザインなど出来るはずが無い。なんとか永年で培った経験で乗り越えてきたが。その分、よけいに疲れることになった。

しかしよく考えてみると、これはスランプというより「これまで出会ったことの無い大きな壁」だったのかも知れない。だとすれば、40歳半ばにおいて、大きく成長したということなのだろうか?
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2008年04月28日

座右の銘から学ぶ

個人のブログ「福岡平尾にこだわるデザイナー」の日記にも書いたが、事務所の近くに「居酒屋 初心」という、とても良い店がある。大将や女将の仕事に対する姿勢をかいま見るに、全くもって慢心を感じない。まさに「初心忘るべからず」。

この「初心忘るべからず」という言葉は、思ったより重い。なぜならまず「初心」を持っていた人が何人いるのか?という大きな疑問がある。おそらく数十パーセントの人がこの時点で「初心忘るべからず」を座右の銘にできない。

自分の場合もすっかりそれにあてはまってしまった。業界に足を踏み入れた頃、もしくは独立しフリーランスになった頃の「初心」は、何であったか?
今更ながら、自分の初心をこの場で再定義できるのであれば、「自分らしく生きる、自分らしい仕事をする。結果は後で着いてくる」というようなものだろう。

それが「独りよがり」「傲慢」「我がまま」であってはならない。あくまでも商業デザイナーであるという前提だ。
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2008年03月25日

自分に与えるプレッシャー

「やれば出来る」と簡単に言うが、「出来た」という結果があって初めて成立する言葉だ。その反対に「やらなければ出来ない」し、「出来なかったのだから、真剣にやっていなかった」と言われることもあるだろう。

数年前より顕著になった傾向で、仕事の打ち合わせの時に「ぜったいイイもの作ります」的な言葉を言ってしまうことがある。でも実際には何の根拠も無く、ただ単に「頑張ります」というニュアンスだ。しかし、その言葉を聞いたクライアントは異常に期待し、「この人に任せておけば絶対大丈夫」のように感じてしまう。

仕事が回らない状況が続くので、打ち合わせの後すぐにその仕事を始められるわけではなく、数日あるいは数週間寝かせることになる。そして、提出の記述が迫ってくると、とてもイイものが出来ないような気がしてくるのだ。

でも「イイものを作る」と約束したようなカタチになっているので、後悔の念や自信喪失、時間が足りないという物理的な悩みに負けそうになる。

最終的には開き直って、どうにでもなれ!ってデザインしているけど、ふとした瞬間、マラソンで言えば40キロ過ぎた感じの時に、ふと、イイものが出来そうな気分が戻ってくるのだ。毎回こんなことを繰り返していたのでは、身も心も消耗するよね。
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2008年02月29日

二択で外しまくる

最近、ある仕事で二択を外し続けてかなり凹んだ。

例えば、2枚の写真があり、どちらか一方しか入らない。そこで自分が選んだ写真がクライアントから却下される。理解しづらい内容の表現を、もう少し分かりやすくまとめたつもりが、見にくくなったと却下される。そんな感じだ。

気づいてみれば、自分も自分の部下に同じようなことを言っている気がする。デザインラフを作らせてみて、「もう少し緊張感を出すように心がけてみて」などと言って、やり直させた結果、「前の方がマシだったね」なんていうことがある。おそらく、相手は凹んだだろうね。

写真の選択も、表現の手法も、決して正解があるわけでなく、好みによっても結果が違ってくるものだ。それを頭ごなしに「選択を間違えている」と決めつけるのは危険なようだ。みんな、その時には正しい選択をしているつもりなわけで、それを否定された時に、判断能力が弱くなり、萎縮してしまう。あまりに萎縮すると、自分の責任で決めるというより、相手が気に入るものを選ぶようになってしまう。

まあ、デザインで「二択で外しまくる」ことがあっても、死ぬわけじゃないし。自分を成長させてくれる「栄養源のような失敗」を肴にして酒でも飲もう。
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デザインの引き出し

若い頃からよく「デザインの引き出しをいかに多く持つか」などという、先輩デザイナーの言葉を耳にしたものだ。「引き出し」とは、アイデアに近い感覚だろう。

例えば文字を目立たせて欲しいという要望はよくあるが、文字を大きくする/太くする/色ベタで抜くなど、いろいろな方法を考えつく。これらは単純に「デザインの引き出し」と呼でべるのだろうか。僕が思うに、これらは誰でもすぐに思いつく手法であって、特別に引き出しとは呼び難い。

僕はつい最近まで、長年の経験で得た「デザインの引き出し」を多く持っていると、勘違いしていた。現に、少しの間グラフィックデザインから離れていて、久々にイラストレータで広告のデザインを始めたとき、次々とデザインの引き出しが開き、デザイン作業が進行することはなかった。

逆に気がついたことがある。かつて自分が身につけたレイアウトの法則は覚えていて、レイアウトを進めて行く中で、その重力のようなものに引き寄せられて行くということ。上手く説明できないが、レイアウトは自分の好きな方向に向かって動いていて、それは止めることが困難なのかも知れないのだ。

ということは、ケースバイケースで、その時に相応しいレイアウトを経験することにより、毎回納まりの良い、美しいレイアウトが出来るようになるのか。そう言えば、レイアウトの上手な先輩デザイナーは、どのような仕事でもある程度美しいレイアウトができたような気がするし、当時の僕は、その反対だったと思う。

結論として「デザインの引き出し」とは何か?
実際に引き出しを一つあけたら、一つのアイデアが入っているというわけでなく、自分らしいデザインができる過程で、次々にアイデアを思いつき、自分の好きなデザインの方向に進んで行くという意味なのかも知れない。
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2008年02月23日

凹んだ時こそ階段を上がっている

デザイナーとは本当に難しい職業の一つだと思いますね。

これまで24年間グラフィックデザイナー、アートディレクター、ウェブデザイナーと、デザイナー人生を歩んできましたが、未だに難しいことの山盛りです。レイアウト一つとっても、決して何が正解か?というものがあるわけでなく、自分なりに正解と思われる選択をし続けないと、きれいに仕上がりません。

アートディレクションに至っては、もっと訳が分かりません。「何かかっこイイモン作って?」って感じで頼まれてアイデアを出すこともあります。ほとんどの場合、何となくこんな感じか?って作っていって、もちろんそのアイデアが「正解である」という自信がないままに提出することもあります。「正解」であるか否かは、そのクライアント(あるいは担当)の判断に委ねることになるからです。

デザインの世界では「アリ」「ナシ」議論が良く起ります。例えば、このアイデア(レイアウト)はアリだね。といった感じです。先日、とあるクライアントの担当者から間接的に「このアイデアはあり得ない」とこっぴどい評価をいただきました。間接的に聞いた話で、どういう理由で「あり得ない」のかは、教えていただけませんでした。自分で考えるしかないようです。アイデア自体があり得ないものだとは思えませんが、相手の環境を加味すると、少しだけ理解できるような気がします。仕事の内容に関しては明らかにできませんが、相手に合わせたアイデア出しは難しいものですね。

記事タイトルの「凹んだ時こそ階段を上がっている」とは。
仕事がうかく行かなかった場合、しかもそれが命取りになっていない場合は、必ず自分の能力の階段を一段上がるチャンスでもあると思ってきました。これまでのデザイナー経験の中で何段の階段を上がってきたか覚えていませんが、苦悩するたびに、乗り越えて来たことは確かだと思っています。

そんなことを続けていると「凹むことって自分に必要なことなんだ」って思えるようになって来ましたね。例えば、人から誉められてばかりいたらどうでしょう?自分の自慢ばまりしている人になるかも。失敗した時に相手のせいにばかりするかも。すべての人が自分の欠点を指摘してくれるアドバイザーではありません。自分耳に入ってくることだけが自分の評価だとは限らないのです。

今回の凹みは、年齢とともにだんだん成長のスピードが遅くなってきた自分にとって、とてもありがたい出来事でした。
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2008年02月19日

危険を察知する嗅覚

大げさな記事タイトルですが、とても大切なことです。

自分はそれほど神経質ではなく、私生活ではかなりヌケていると自負していますが、こと仕事においては「危険を察知する嗅覚」を磨く努力は惜しみませんでした。フリーランスで長年やっていましたが、明日の保証、来月の保証、来年の保証が全くないわけでして、将来に対する不安はサラリーマンの比ではありません。

それでは「危険を察知する嗅覚」とは何か?わかりやすく表現すると「このままだとヤバい」という予感です。たとえば自分の仕事がクライアントが求めるクオリティに達してないのではないか?という不安、このまま放っておくと、カネがもらえないのではないか?という不安。この仕事を断ったら、干されるのではないか?という不安。

10年以上フリーランスをやってましたが、そのような不安はほぼ当たっていました。単に気が弱いだけなのかもしれませんが。でも実際にその間に消えて行った同業者もたくさん見ています。自分が生き残って行くためには、常に危険を察知し回避することだと本能的に感じていたのでしょうか。

しかし感じるだけでは解決できません。デザインの品質が危ないときは「より良いデザインを」おカネがもらえない危険には「お金を請求する強い心を」この仕事を断ったら干される危険は「なるべく断らない(カラダを鍛える?)」などなど、危険が迫ってからでは対応できない「準備」が必要なのです。心技体とは良く言ったもので、デザイナーもさまざまな部分で自分を鍛えておかないと、長続きできない職業のひとつです。

その「危険を察知する嗅覚」は、何も精神論ばかりにあてはまるものではありません。デザインとは「危険を回避する」と同じ作業かもしれません。常に「奇麗に見えなくなる危険性」「意味が通じない危険性」「間違いが起る危険性」がつきまとい、気づかずに作業をすすめると自分が「使えないデザイナー」になりかねません。僕がデザインを進める段階で良く考えるのは常に「選択」を外さないこと。要するに二つ以上のアイデア(手法・引き出し)を持ち、危険な方向に向かわないように舵を取ることです。
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2008年02月13日

卒業制作

先週の土曜日に、とあるデザイン専門学校の卒業制作の発表に立ち会った。全部で10人の学生のプレゼンテーションをみたのだが、どの生徒も、きちんと時間配分し、上手に発表していた。凄いね。年齢は一律に20代の前半というわけではなかったようで、一度社会に出た後にもう一度勉強し直して、デザイナーになろうという生徒も多かった気がする。

僕自身は卒業制作は提出していない。運悪く、卒業制作時期に体調を崩して、制作を断念したのだ。それでも運良く、段の提出課題が当時講師をしていた先生の目にとまり、卒業制作ナシで就職が決まってしまった。講師の先生のデザイン事務所に誘われたのだ。

もしも、20代前半の自分が、大勢の大人の前で卒業制作のプレゼンテーションをしたら、果たして彼らのように出来ただろうか?多分、全然駄目だったと思う。今でさえ、まともなプレゼンが出来る自信がないのに.みんなが良い就職先に恵まれることの祈ります。

その夜は事務所の同僚と少しだけ酒を飲んで帰宅し、自分の若い頃を思い出していた。
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2007年12月02日

小きな失敗、大さな失敗。

小さな失敗を恐れて、人は生きているのだろうか?

自分は「失敗の大小」は、後にわかること。と、常に思っている。交通事故のように、一瞬にしてその「失敗の大小」が感じられることは別にして、日常生活の中で起こす失敗について、その失敗は大きいのか、小さいのか?おそらくそれは、起こした失敗をリカバーするのに要する苦労により決まると思う。

なるべく小さい失敗を繰り返しながら生きてゆこうと思う。自分の力でリカバーできないような失敗は、気をつけていればよっぽど起らないものだ。ただひとつ、注意しなければならないのが、失敗のリカバーは人に委ねなければならないことも多いということ。無理して自分ですべてを解決しようとすると、さらに大きな失敗につながることも多い。

小さな失敗をしながら生きることは、大きな失敗を防ぐ。その失敗を大きいと感じなければ、もっと大きな失敗もリカバーできる。これは僕の持論だ。
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人を楽しませる仕事

例えば芸人、落語家など、人を楽しませる仕事を職業としている人の話を、インタビュー番組などでずいぶん見たことがある。その中でも印象的なのはアニメ映画の監督が「自分が楽しんで作ることはない。極限まで苦しむ」と語っていたこと。

デザイナーは、人を楽しませることができる仕事だと思う。子供の頃、画用紙に絵を描き、自作ですごろくや野球盤のようなゲームを作ってよく遊んだ。絵を描くことは得意だったが、盤上の工夫をおろそかにすると、ゲームが成立しなかったり、一緒に遊んでいる友人から「意味がわからない」「面白くない」とクレームを出されたものだ。改良する場合もあるが、根本的に「つまらない」と気がつくと、改良を放棄したことが多かった気がする。

自分が楽しみたいと思って作ったゲーム。確かに作っている時は楽しかった。しかし、一緒に遊んでくれるプレーヤーに「楽しさが伝わらない」ものを作ったのでは、意味が無い。と小学生の僕は学んだ。
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2007年11月16日

制作者が何を考えているか?

ウェブデザインを見ていると、制作者が何を考えているかわかる時があります。その延長上には「誰のためにデザインしているのか」まで見えてくることもあります。もちろん、間違っていることもあるのでしょうが。デザインを仕事としていると、その時々で「誰のためにデザインしているのか」は変わることもアリです。例えば、プライベートなウェブサイトの場合、自己主張に終止しても何の問題もありません。誰かを傷つけることさえなければの話です。
自分のウェブデザインは、ほとんどのケースで「見てくれる人」のためにデザインしています。「見てくれる人」が何かを感じ取ってくれるように考えることは非常に大切です。一見美しく見えるデザインでも「見てくれる人」に何も伝わらない場合があります。それは、まず自分が「見る側」になっていないからかもしれません。
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2007年10月10日

ウェブデザインとグラフィックデザイン

僕はもともとグラフィックデザイナーとしてスタートし、名古屋近辺(岡崎という街)で5年、東京で10年、福岡で9年、ずっとグラフィックデザイナーをしています。ウェブデザインは、福岡に引っ越してきたのとほぼ同時にやり始めた。htmlの勉強、cgiなどの勉強、画像処理の勉強、サーバー環境等の勉強など、いままで知らなかった知識をどんどん吸収しながら、ウェブデザインの仕事を全体の7割近くまで伸ばして行きました。福岡に引っ越してきた後に知り合った人たちは、僕をウェブ専門のデザイナーだと勘違いしている人もいます。
最近になって、またグラフィックデザインの面白さに気づいて、グラフィックの仕事を積極的に受けるようになって来ましたね。ウェブに多少飽き気味ということもありますが。若い世代の人たちと接する機会も年を重ねるごとに増えてきていますが、グラフィックデザインができない専門ウェブデザイナーも多いです。もちろん専門知識的に区別すれば別業界・別分野なのでしょうが、両者とも平面的なデザインに変わることはありません。パッケージ(グラフィック)3D表現(ウェブ)など、一見平面的ではない気もしますが、プロダクツデザイナー、ファッションデザイナー、インテリアデザイナーなどと比較すれば違いはわかります。ウェブ自体は新しいメディアとして確立されているかもしれませんが、グラフィックデザインの理論と共通する部分は多く、両立させて行くと自分の世界を創れる気がします。
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2007年09月20日

最近の旅館のウェブサイトの傾向

数年前から旅館のウェブサイトデザインの傾向が、ある方向に固まりつつあると感じている。それは「自社ウェブから予約を受けたい」という目的に特化しているという点だ。確かに、自社ウェブからの予約を伸ばしたいという営利目標は重要。しかし問題なのは「宿の魅力を表現する」「他の宿との違いをアピールする」こととはほど遠いウェブデザインが多くなっていることだ。私の目から見る主観による意見だが、デザインがフォーマット化されているように感じさせる。分かりやすく言うと、基本デザインは同じで、ロゴや写真、色の配色のみで別のものに見せている。
ユーザーインターフェイス(訪問者の操作感)が重要なファクターになることも事実だが、一定の操作感をクリアしつつ「オリジナリティ」「らしさ」「楽しさ」などを大切にしたウェブデザインを心がけようと実感している。
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